台湾

アメリカのマネではない
台湾独自のインターネット誌


凱訊系統顧問有限公司


<政府が管理する台湾のインターネット>

世界に4000万〜5000万人のユーザーがいるといわれるインターネットは、アジアでも急速に広がりつつある。インターネットのホストコンピュータ数でみると、タイやマレーシアでは、絶対数は少ないものの、半年に200〜300%の割合で伸びている。台湾は、伸び率は低いが、日本と韓国に次ぎ、アジアで第3位を占める。

中国に対する国家機密保持という課題を抱えた台湾では、 インターネットの開放は容易なことではない。そのため、インターネットはすべて政府の管理下に置かれており、教育省、交通省、経済省が運営する3つのネットワークが存在する。学生や学校関係者らは、教育省のネットワークを通じ、インターネットに無料でアクセスができる。個人や企業団体がアクセスするには、交通省または経済省が運営するネットワークを通じることになる。

商業プロバイダーも、どちらかのネットを通じなければならないため、ユーザー獲得において政府運営のネットワークとの競争を強いられる。そのため、商業プロバイダーの参入は難しく、台湾には商業プロバイダーが約20社あるが、各プロバイダーが抱えているユーザー数はせいぜい200人程度だという。しかし、現在、教育省が、大学だけでなく、中学・高校にもインターネットの普及を進めているため、教育機関を利用したユーザーを含めると、ユーザー数はこの何百倍にものぼる。

<ホープネット誌>

「台湾でインターネット関連のビジネスを行なうときの必読書」と読者が語るインターネット関連雑誌のホープネットも、もともと92年にパソコン通信のネットワークとして開始された。ホープネットという名には、「世界に希望をもたらしたい」という創立者、黄俊隆社長の願いがこめられている。

同雑誌のおもなテーマは、インターネット、パソコン通信、シェアウエア(一般に公開されている無料ソフト)の3つからなる。

内容は、インターネットに関する最新情報、新製品紹介、世界のパソコン通信ネットワーク紹介から、インターネットの構築方法などの技術情報までをカバー。またインターネットが社会に与える影響やインターネット倫理など社会的見地からの考察や、仏教徒である黄社長の経営方針を反映した哲学的な内容も多い。

同誌は、ワールド・ワイド・ウエブ(http://www.hope.com.tw/)で無料で閲覧もできる。また、同社のウエブでは、仏教の経典も紹介されている。

同誌では、毎月、数多くのシェアウエアソフトのリストが掲載されており、そのシェアウエアは実際に付録のCD−ROMに含まれている。伝統的な雑誌という媒体と、CD−ROMとコンピュータ・ネットワークを組み合わせた出版物は、台湾では、同誌が初めてだった。今では、同誌をまねてCD−ROMをつけた雑誌がほかにも出ているという。

<勉強嫌いの少年が起業家に>

同社創立者の黄社長は、子供のときからコンピュータに慣れ親しんでいたわけでも、大学でコンピュータを勉強したわけでもない。じつのところ、子供のときから勉強は決して好きなほうではなかった。黄社長は、中学卒業後、日本の高専にあたる有名工業専科に入学したにもかかわらず、3年で退学。新たに商業専科に入学したが、ここも長くは続かなかった。その後、兵役を避けるために、大学を受験。機械工学を専攻したが、勉強には身を入れずコンピュータに夢中になり、やはり1年で中退。この頃、黄社長にとっていちばん重要だったのは、「有名学校を出て、いい職につくことではなく、人生について考えることだった」という。哲学に魅せられた彼は、大学受験後、仏教徒となった。

85年に兵役を終えたあと、黄社長はコンピュータ販売店で店員を務めながら、占星師用ソフトを開発し、その後、数年にわたってかなりの印税を取得した。その後、イギリス系の情報管理システム会社を経て、同年、25歳で、弟の俊義氏とともに、資金5万j(約18万円)で情報管理システム会社を設立。会社名は、仏教の経典にちなんで軍厳とした。

仕事は、製造業用にカスタムメードの会計・財務・在庫管理ソフト開発が中心だった。その後、スタンダードのソフトの開発にも取り組み、88年には、資本を200万新台湾j(約700万円)追加し、資本金は総額600万j(約2000万円)となった。89年には従業員も12人に増え、会社はこれからという時期になった。

ところが、90年、黄社長は、突然、会社を弟の俊義氏に任せることを決意する。「あまりにもビジネスが中心となり、毎日、仕事に追われ、ゆっくり考える暇もなかった」というのが理由だった。

<希望を分かちあえるパソコン通信局>

黄社長は、次にコンピュータ・ネットワークに関するコンサルティングを始めたが、これを営利事業とすべきか、非営利事業とすべきかで大きく迷った。

「ビジネスとしてではなく、素人レベルで何かをやりたかった」という黄社長だが、結局、営利事業として取り組むことにし、凱訊系統顧問有限公司を設立した。創立資金35万j(約100万円)のうち、20万j(約70万円)は、母親が友人から借金してくれたものだ。当時、この会社を大きな事業に育てる気はまったくなく、借金を返せるとは思ってもいなかった。

コンサルティングのかたわら、黄社長は、「コンピュータ・ネットワークを通じて人々がアイデアや希望を分かちあえるように」と、パソコン通信ネットワーク、ホープネットを開設した。5本で始めた電話回線が、まもなく10本に増加。ネットフレンドと呼ばれる会員らは台北を中心に8000人にのぼった。しかし、黄社長は、媒体としてのコンピュータに限界を感じ、ネットフレンドたちのあいだのコミュニケーションをさらに向上させるために、伝統的な媒体を用いたニュースレターの発行にも着手した。

「多くの有能な技術者らが、ハイテクの労働者として働くだけでなく、アマチュアレベルで一緒に何かできるように」と、黄社長は、ネットフレンドである技術者や教師などさまざまな分野の専門家を集め、コンピュータ関連の技術書を執筆、出版した。利益のほとんどを皆で分け合った。

ホープネットは、いまでは、会員の専門分野に合わせ、リサーチセンター、教育センター、出版センター、マーケティングセンター、情報管理システムセンターなどの分野に分かれている。

同社は、92年に、弟の俊義氏の率いる軍厳と合併。93年には、台湾中のパソコン通信局をつなぐために、ホープネット・リンカーというシステムソフトの開発に取り組んだ。しかし、このプロジェクトは半年で挫折。会社の財政は赤字で、黄社長は会社を存続させていく方法を模索していた。

<台湾独自のユニークな雑誌>

93年末、黄社長は、発行していたニュースレターを雑誌へと発展させることを検討しはじめる。

「台湾のハイテク産業は、これまでアメリカや日本の技術開発に追従するばかりで、自ら新しい製品や技術を創り出そうという努力に欠けていた。これは、コンピュータ関連の出版業界に関しても同様だ。ほんとんどがアメリカの出版物の翻訳版、もしくは模倣したものであり、台湾市場のニーズにあったものはほとんどない。こうした現象は、おもに、多くの経営者が単なる生き残りと短期的利益を追求しているからだ」と、現状に業を煮やした黄社長は、台湾の状況を踏まえ、台湾のユーザーのニーズを満たせるような雑誌の出版を目指した。

「どうせ何かするなら、今度は、大企業として発展させたい。もう小規模経営はやめだ」

事業計画作成に6カ月を費やしたあと、会社の持株2割を売却して、250万j(約900万円)の資金を集めた。 出版事業に経験の乏しい黄社長は、編集者、CD−ROM編集者、CD−ROM制作者、アートアシスタントなどの出版スタッフ、そしてマーケティングや経理担当者など計9人の社員を雇った。

価格については、弟と幾晩も議論を続けた―コミュニケーションの媒体として手ごろな299j(約1000円)にするか、制作コストに合わせ699j(約2500円)にするか。

299jで利益をあげるには、月に最低7000部は売らなければならない。香港の雑誌卸商にも、小売価格は699jにすべきだというアドバイスを受けた。しかし、たとえ、299jでも、ほかのコンピュータ雑誌は120〜160j(約400〜6600円)で販売されており、かなりの高値である。考えに考えを重ねた結果、「私にとって、これはビジネスというよりは一生のキャリア。長く続けていきたい」と、安いほうの299jを採用した。

ターゲットの読者層は、すでにかなりコンピュータ知識のある、コンピュータおよびネットワーク利用者に絞った。既存のコンピュータ雑誌に3カ月間、雑誌創刊の広告を掲載した。ディスカウントの予約購読も採用し、年間購読料は、発行日が近づくにつれ上がっていくシステム―3カ月前なら1900j(約6900円)、2カ月前で2300j(約8400円)、1カ月前で2700j(約9900円)とした。予約購読で2000人の購読者が集まり、94年6月の創刊月に1万2000部を販売した。

「あとで聞いた話では、予約購読制というのは、業界で成功したためしがないそうです」

創刊号は、間違いだらけで、出版業界ではお笑い草となった。

「燃やしてしまいたいという衝動にかられましたよ」

創刊から2年近くがたったいま、黄社長は、「価格に関する決断は間違っていなかった。699jではすでに廃刊になっていたでしょう」と、当時を振り返る。

<夢と現実のバランスが起業家には大切>

現在、雑誌の発行部数は1万5000部。そのうち定期購読は5000部で、残りは書店での購入。台湾以外に、香港とシンガポールでも販売されている。同社の現在の年間売上高は、6000万j( 約2億2000万円)だが、このうち運営費が4800万j(約1億7000万円)にのぼる。

最近、ホープネットは、3つの会社を買収した。CD−ROM制作会社のハイパーネット、コンピュータ販売会社の上久順、メーカー向けコンピュータ部品関連雑誌を出版する零組件だ。これで従業員の総数は50人に増加。黄社長が各社の株の51%を所有し、残りは各社の社長や幹部らに所有させている。

「私の役目はアイデアを出すこと。実際にそれを行動に移すのは彼らですからね。それなりの自覚と責任をもってもらわないと困ります。将来、ホープネットの出版業務はすべて零組件に移行し、凱訊系統顧問は、3社のシンクタンクとしての機能を果たしたい」と黄社長は考えている。

また、ホープネットでは、現在、インターネット・サービスの提供を試験中で、10月号で読者に3カ月間の無料サービスを呼びかけた。

会社が軌道に乗ったいまも、「『皆に希望を抱かせ続けること』という会社の使命は変わらない。有能な人々の能力をいかに組み合わせて役立てるかというのが会社経営の醍醐味」という黄社長だが、「もしスタッフや関係者らが希望を抱けなければ…」と考えると眠れない日もあるそうだ。

黄社長は、「起業家にとって大事なのは、中庸―夢と現実のバランスを取ること。そして、人を受け入れること」という。

「若い人たちは、知能、知識がすべてだと考えがちだ。タイミングがよければ、それで成功することもあるかもしれない。しかし、それだけでは事業は続かない。企業には、文化が必要なのです」

非営利事業への夢を捨て切れていない黄社長は、将来、ワールド・ワイド・ウエブで中国語の百科辞典を作成したり、中英の自動翻訳ソフトを開発したいと考えている。

取材・李慶明
文・有元美津世
ベンチャーリンク誌96年2月号に掲載
Copyright GlobalLINKTM 1996

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