
フィリピン
自然原料を使用した害虫駆除ビジネス
MAPECON (マペコン)
- 設立----------1961年
- 所在地--------マニラ
- 代表者--------ゴンサロ・カタン
- 従業員--------400名
- 売上----------6000万ペソ(約2億2800万円)
- 事業内容------農薬製造販売、公衆衛生サービス
<農薬、燃料、消臭剤など製品はすべて社長の発明品>
就業時間が午前7時というMAPECON。朝礼後、まだ8時だというのに、マニラ本社は、活気に満ちている。満足そうに社員の働きぶりを見る同社のゴンサロ・カタン代表は、「私は、わずか400ペソ(約1520円)で、この会社を始めました」と言ってほほえんだ。
1961年に設立されたMAPECONは、農薬(殺虫剤、殺鼠剤、殺菌剤)の製造・販売、殺虫剤のスプレー・空気洗浄・燻蒸などの公共衛生サービスから、固形燃料である「グリーン・チャコ」や、活性炭により悪臭を吸収する装飾品の製造・販売をしている。同社の製品はすべてカタン代表の発明であり、「環境にやさしい」をモットーに、フィリピン国内の自然原料だけを使用して作られている。MAPECONは、国内に10支店を展開しているほか、インドネシア、香港、ニューヨークにも拠点をもつが、現在、ベトナム進出を考慮しているという。
同社は、害虫コントロール・ビジネスにおいて、フィリピン国内のトップシェア(競合会社の発表したデータによると40%)を占める。外国製品の代理店である競合社と異なり、同社は唯一の純フィリピン製品を扱う会社だ。MAPECON製品は、競合会社製品(輸入品)より、40%かそれ以上、安くなっている。
カタン代表は、昆虫学者、化学者、起業家であると同時に、発明家でもある。94年、フィリピンでもっとも優秀な発明家に選ばれ、38の特許をもつが、現在、あと5つの特許がおりるのを待っている。さらに、11の特許を申請する予定だという。
もう充分稼いだことだし、引退してゆっくりしたらどうか、と言う人もいるが、幼少の頃からずっと働いてきた同代表は、「そんなことをしたら、すぐ飽きてしまいます」と語る。<貧しい人に雇用をと幼少から起業家目指す>
ネグロス・オリエンタレスの豊かな自然のなかで育ったカタン代表の父親は教師であったが、決して裕福な家庭ではなかった。5人兄弟姉妹の長男である彼は、子どもの頃から野菜や果物を栽培し、近くの大学で売っていた。
当時から、「自分のような、多くの貧しい人々に雇用の機会を与えたいと思っていた」と言う。
同代表は、10歳代の頃から、4Hクラブという、農村の少年・少女のための組織に所属していたが、同クラブの主催するコンテストに参加し、自分の野菜栽培方法を披露した。勝ち進み、地域の代表となり、首都マニラでの最終戦に出場する際には、地元の仲間が旅費を出し合ってくれた。このコンテストで優勝し、有名な農学部のあるフィリピン大学ロス・バニョス校への奨学金を獲得。昆虫学と化学を専攻した。
大学卒業後の59年、再度4Hクラブのコンテストに優勝したカタン代表は、研修生として、アメリカで最新の農業技術について学ぶチャンスを得た。在米中、地元の農家にホームステイしながら、養蜂、酪農、トマト栽培、ルートビアー、害虫コントロールについて学んだ。また、このとき3週間滞在した農家の娘であったナンシーさんは、後に彼の生涯の伴侶となる。カタン代表は、アメリカの大学から奨学金の申し出を受けたが、「ビジネスを始めるなら、すでに飽和状態のアメリカ市場より、害虫や衛生問題の多く残るフィリピンのほうがチャンスがある」と読んだ。22歳のころ、すでに起業する決心をしていたし、愛国精神もあったため、奨学金の申し出を断りナンシーさんを残して帰国した。
帰国後、まだ起業するのに充分な資金のなかったカタン代表は、61年、ひとまず製薬会社の研究所に就職し、昆虫学者として働いた。会社に、自分がアメリカで勉強してきた害虫コントロール・ビジネスを勧めてみたが、気乗りのない返事が返ってきたという。そのため、資金を貯め、オリジナルの殺虫剤を調合しながら、起業の準備を進めた。そして、就職してから3カ月後、資本金400ペソで害虫コントロールの会社をひとりで設立。
まず、大企業と取り引きをして信用を得よう、と考えた同代表は、マニラ・ホテル、マニラ・タイムス、ジャイ・アライ、サファリ・レストランに、「1カ月間無料お試しサービス」として、オリジナルの殺虫剤を提供し、スプレー・サービスを行なった。当時は、朝の4時から夜中まで働いたという。1カ月後、全4社が契約を締結したのを機に、製薬会社を退社。2人の従業員を雇い、本格的に会社経営に乗り出した。
一方、アメリカにいるナンシーさんとは、手紙とテープで連絡を取り続けていた。すでに、結婚の決意は固まっていたが、2人には航空券を購入するお金がなかった。ナンシーさんも、裕福な家庭の出身ではなく、働きながら大学を卒業した女性だ。
カタン代表は、フィリピン航空に、飛行機の燻蒸を行なうかわりに、アメリカ−フィリピン間の片道航空券を提供して欲しい、と申し出た。交渉は成立し、ナンシーさんを呼び寄せることができ、2人は62年に結婚した。
この「取り引き」以来、フィリピン航空とのビジネスは、ずっと続いている。「妻は『私は、ゴキブリやネズミと交換されたのね』と、今でも言っています」とカタン代表は笑う。
63年にはセブ支店をオープン。翌64年、アメリカの大学教授が事例研究のために、MAPECONを訪れた。この年、同社の売り上げは、62年の月額9000ペソ(約3万4000円)から2万ペソ(約7万6000円)にまで伸びていた。「当時は、会社の売り上げが月額10万ペソ(約38万円)までいけばいいというくらいにしか思っていませんでした」と語るカタン代表。94年、同社は、月に500万〜600万ペソ(約1900万〜2280万円)を売り上げるにまで成長した。
起業してから、一環して「誠実」をモットーにしてきたカタン代表。会社が軌道に乗り出した65年、「汚職」ということを知った。この年、MAPECONは、ケソン市の害虫コントロールというビッグ・プロジェクトを任された。プロジェクト終了後、カタン代表には、ひとまず、契約金額の約半分にあたる、2万6000ペソ(約9万8800円)が支払われた。しかし、残高のうち、1万ペソ(約3万8000円)を渡すように、と役人が申し出てきたという。
賄賂という形でなく、せめて、MAPECON社名入りの交通信号を寄付するといったことにできないのか、と申し出たカタン代表を、「あなたは、若いからまだ何もわかっていない」と、役人は聞き入れなかった。
賄賂を拒否したため、契約金を全額受け取れたかったカタン代表は、フィリピンの有力紙であるマニラ・タイムスに、このことをすべて話した。当時、同紙のオーナーであった故チノ・ロセス氏は、ケソン市の汚職疑惑について、3ページにも及ぶ記事を発表した。この記事は反響を呼び、カタン代表は信頼を得る結果となり、大口の顧客を新規に獲得することができた。「この事件以来、私のビジネスはさらに伸びていきました。ですから私は、誠実さは最良のポリシーだと思っています」
賄賂を拒否したことは最良の決心であった、というカタン代表。この事件以後も、たとえどんなに大きなプロジェクトであっても、賄賂の話しが出た時点で、ビジネスを打ち切りにしている。できるだけ民間企業と仕事をすることにしているが、害虫コントロールの顧客名簿には、大統領官邸や最高裁判所も載っている。<グリーンチャコの市場開拓にも力を入れる>
現在400人いる社員へのカタン代表の対応のしかたも「誠実」だ。勤務時間は原則として朝7時から午後4時までとなっているが、出社をチェックするのみとなっている。フレックスのような制度をとり、仕事が終われば、社員は帰宅してもよい。「社員を信用すれば、自然と彼らも信頼できる人間になっていきます」
同社は、売り上げの1%を別に設けた特別口座にプールし、社員が病気になったり、家族に不幸があったときに、この口座からお金を出すようにしている。また、火山噴火のような自然災害に逢った地域には、この口座から見舞金を出したりする。避難所や孤児院には無料で殺虫剤を寄付するほか、必要に応じ、スプレーサービスも施している。こうした活動を通じ、「人々は、MAPECONの名前を覚えていてくれるでしょう」とカタン代表はいう。
MAPECONは、起業当時から行なっている害虫コントロールのほか、前述のグリーン・チャコや悪臭吸収用の装飾品にも力を入れはじめている。すでに優れた公衆衛生プログラムを誇る日本には、殺虫剤でなく、この2製品での市場参入をねらっている。
80年代初頭に開発されたグリーン・チャコは、いままで農業廃棄物として捨てられたり、燃やされていた繊維性の草(わらやバナナの葉)と酵素を原料として作られた固形燃料である。アフリカやフィリピンでは、燃料に使う薪を拾って運ぶのに、女性が毎日、10`も歩かなくてはならない。また、燃料としての薪を得るため、木がたくさん切られている。そのため、オルモック市では、森が破壊されてしまい、山崩れや地すべりの原因となっている。
さらに、フィリピンの主要産業のひとつであるタバコの葉を乾燥するのに使う薪を得るためにも、木が切られている。タバコの葉を乾燥するには、1fあたり、5dもの薪が必要だという。
自然破壊を止め、人々に雇用の機会を与えるためにと願い、カタン代表はグリーン・チャコを開発した。この燃料は、木炭と同じ効果をもつが、値段的には30%安くなっている。効果はすでに、研究所の実験で証明されている。
前フィリピン大統領であるマルコス氏の出身地であるイロコス・ノルテ州からは、グリーン・チャコに関する問い合わせがきており、カタン代表は、今後の市場開拓に期待している。
グリーン・チャコは、屋外バーベキュー用燃料としても最適なので、アウト・ドアを楽しむようになった日本の若年層にも受けるのではないか、とカタン代表は言う。フィリピンではすでに、キャンプ用としてグリーン・チャコを販売するガソリン・スタンドが出てきている。
果物を型どった悪臭吸収の装飾品は、シールを取り除いてから、3〜4カ月持つという。詰め替え用の活性炭も販売している。この装飾品の効果を示すために、透明の入れ物にタバコの煙を入れ、吸収されていく様子をデモンストレーションしている。<日本をはじめ世界へのビジネス拡大ねらう>
今年、東京のビジネス・ショーでこの装飾品を展示したカタン代表には、日本の会社からも問い合わせがきている。日本政府によるテストもパスしたので、あとは取引相手を探すことだという。「これからは、もっと世界中にビジネスを広げたい」。とくに、害虫駆除、公衆衛生サービスの向上が必要な開発途上国でのプロジェクトに期待しており、資金面では日本の援助を求めたいという。「たとえば、私がテクノロジーを提供し、ベトナムが労働力、日本が資金といったジョイント・ベンチャーが理想だと思います」とカタン代表は語る。
そのため、まずMAPECONの営業社員の増員に力を入れている。現在マニラ本社には33人の営業マンがいるが、さらに10人をトレーニング中だ。長期的目標としては、同本社の営業マンを100人まで増やし、海外でも通用するマネージャーに育てていく。
92年、フィリピン政府は、発明家(フィリピンでは、ひとつでも特許をもつ人は発明家と見なされる)の税金を免除するという法令を作った。カタン代表は、免除された分の税金を、同社の研究・開発費にあてている。「フィリピンには、まだまだ改善すべきことがたくさんありますから」と語る同代表は、後輩や社員の指導に励みながら、発明を続けている。
取材・文-----伊藤葉子
ベンチャーリンク誌95年12月号に掲載
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