トップ登山家夫妻が始めた企業向け社員研修業


CEM(Centro de Excelencia Motivacional) カルソリオ夫妻の写真

<目標設定、リスク計算、戦略が必要な登山>

 登山とビジネスー一見無関係のように見える二つの世界。しかし、「登山は他のスポーツとは大きく違い、ビジネス世界との共通点の方が多い」と語るのは、メキシコのトップ登山家であり、その経験をビジネスチャンスに結びつけ、人事研修センターCEM(セントロ・デ・エクセレンシア・モティバシオナル)を設立したカルソリオ夫妻である。

 「山というのは、人生そのもの。喜びもあれば、苦しみもある。常に目標を見据えながら闘い続けなければならない」

 「登山で最も大事なのは、自分自身、自分の限界を熟知すること。山では、目標設定や状況判断などに際し、現実的でなければ命を落としかねない。リスクを計算し、戦略的であることが必要」。また、「リスクが大きすぎると危険であり、小さすぎると成長できない」という点も登山とビジネスが似ているところだという。

 「登山における最大の満足感は、自分の恐怖心を克服することから得られる。山では、恐怖心をコントロールできなければ、事故、もしくは死につながる。といって、その恐怖心をまったく無視するわけにもいかない」。

 こうしたリスクテーキング、リスクマネージメント力、精神力以外にも、「秀でたいという要求、自分自身とチームへの信頼、リーダーシップ、向上心、訓練、好機の利用、時間管理、将来へのビジョン、競争心、チーム共通の目標設定...ビジネスに通じるところは多い」とカルソリオ代表は語る。

<登山経験をビジネスに転用>

 カルロス・カルソリオ代表は、85年、22才のときに、世界最大の壁といわれるヒマラヤのナンガ・パルバットに登頂して以来、これまで14ある世界の8千メートル級の山のうち9つに登頂し、北南米を通じての最高記録を保持している。また、その中でもビッグ5と呼ばれる5つの山に登頂した世界の4傑の一人、かつ最年少者である。一方、エルサ・カルソリオ代表も、87年に、最年少の女性として、またラテンアメリカ女性として初めて、ヒマラヤの8千メートル級の山に登頂した。さらに、89年には夫婦でエベレスト登頂に成功し、カルロスは酸素ボンベなしでエベレストに登頂した初のメキシコ人となった。(途中、日本人登山家3人と出会い、一緒に登頂したそうだ。) 

 85年のナンガ・パルバット登頂後、カルソリオ代表のもとに、企業から講演依頼の電話が舞い込むようになった。最初に依頼のあったのはIBMで、年始の全社大会で社員啓発のための講演をしてほしいという。それまでにも大学などでは講演を行なっていたカルソリオ代表だったが、登山家としての経験がビジネス社会で役立つとは考えてもいなかった。

 大学での専攻は土木工学というカルソリオ夫妻には、ビジネス経験など皆無だったが、ビジネス世界で必要な要素が登山経験を通じて養われていた。「大学時代、初めての海外遠征でヨセミテに行ったとき、資金が足りず、ウエアやリュックサックから器具まで、ほとんど自分たちで作った。大学のワークショップで、手製の登山具の販売もした。粗悪なロープを使い、非常に大きな危険を冒したが、あのときの経験が、その後に登った数々のヒマラヤでの経験よりも、今までで一番いい勉強になった」。

 遠征には長期にわたる綿密な計画準備が必要である。たとえば、山によっては、数年前から地元の国に登山許可を申請しなければならない。そして、その許可を得るには、エベレストの場合、5百万円もかかる。その他、食糧や登頂を証明するための写真撮影用器具など、準備するものは数多い。夫妻は、大学時代、登山遠征の資金を提供してくれるスポンサーを探すために、企業を一軒一軒訪ね歩いた。こうして養われた計画力や組織力、またスポンサーとなってくれた大企業とのトップとの人脈が、今日、ビジネス世界で役立っている。

 IBMでの講演をきっかけに、カルソリオ夫妻は、自らの登山経験をもとに、スライドやビデオを制作し、セミナー事業に乗り出した。89年のエベレスト登頂成功後、企業からの依頼はさらに増え、91年、92年には、夫妻は年間150ものセミナーをこなした。

 セミナーは、食事や送迎を含め、すべてカスタム・メードであり、登山のスライドやビデオを用いながら、重役、営業スタッフなど、参加者に応じたテーマで行なう。セミナーの定員は、15人から40人。15,000ペソ(ペソ暴落前のレートで約50万円)という高価格のため、当初、クライアントはIBM、ペプシ、リーバイス、ヒューレット・パッカードなどの多国籍企業の重役クラスがほとんどだった。 

<野外体験ゲームを用いた社員研修>

 登山家にとって最高目標であるエベレスト登頂に成功した後、夫妻は「次は何を目標とすべきか?」「ずっと山と関係して生きていくにはどうずればよいか?」を模索していた。セミナーへの参加者がやる気になり、成長するのを見て大きな満足感を覚えた二人は、「セミナーや研修を通じ、できるだけ多くの人と我々の経験を分かちあうこと」を長期目標に掲げた。

 二人は、かねてから、ヨーロッパで盛んな登山家の経営による野外体験ゲームを用いた人事研修センターを訪問し、同様のセンターをメキシコに開設したいと考えていた。野外体験ゲームとは、壁に登ったり、つり橋を渡ったりと、一見、体力テストのように見えるが、実際は、自信、創造力、チームワークなど精神面を養うものである。

 カルソリオ夫妻は、セミナー事業で蓄えた資金で、92年に念願のCEMを設立した。「やる気啓発、ポジティブ思考の促進」を目的とするCEMでは、セミナーのほか、運転手から重役までの社員全員、社員30人の家族経営の会社など、あらゆる規模・レベルの社員研修やトレーニングを行なっている。CEMでは、15人の講師以外に、プログラム開発のために産業心理学・人間行動学・組織開発・アサーティブネストレーニングに関するスペシャリストなどの専門家を雇っている。

 野外体験ゲームを採用したのは、メキシコではCEMが初めてであり、当初、企業に売り込んだ際、企業側の反応は芳しくなかった。まず、体力テストと誤解されたこと。そして、重役や管理職が、部下と一緒にゲームに参加し、部下の前で失敗をしたくないという恐怖心が原因だった。メキシコ企業では、管理職と労働者では、社会階級的にも異なり、交流は少ない。一緒にゲームに参加するというだけでも抵抗があるようだ。

 しかし、口コミでクライアントは徐々に増えていった。今では、代理店3社に営業を委託し、営業と口コミによるクライアントがちょうど半分づつだという。今年からは、コミッションベースで専属の営業員を一人雇う予定だ。しかし、「最良の宣伝はサービスの質、そしてサービスに満足したクライアント」だと夫妻は述べる。

 野外体験ゲームでは、思いもかけない落し穴があったり、「多くのことが不確定な状況で決断を下さなければならない現実を反映している」という。また、自分のパートナーやチームメンバーを信頼しなければできないゲーム、さらに、実際にメキシコの最高峰に登る「コーポレイト登はん」という重役向けプログラムもある。このプログラムでは、参加者の少なくとも一人が登頂し、その達成を会社全体で分かちあうことを目的としている。

 ゲームの目標やプログラムは、クライアントごとにカスタムメードであり、たとえば、新製品の紹介であれば、「高品質の商品を期日までに納入する」という具体的な目標が設けられる。 ゲームには、ロッククライミングなど危険を伴うものもある。「ゲームの成功の鍵は、安全と講師」というCEMでは、25人の参加者に対し、10-12人の講師、1チームに1人の割合で講師を配置する。講師のほとんどが登山家であり、ロープの使用方などを熟知している。

 また、備え付けの器具以外に、どこにでも持ち運び可能なポータブル・ゲームも用意されており、たとえば、一ヶ月後に催されるある企業の海辺での新製品紹介のための大会では、それを使用するという。

 メキシコには、競合会社が2社あるそうだが、2社ともアメリカの人事研修会社の代理店であるため、アメリカ式思考に基づいているそうだ。これまで、各国の登山家たちとチームを組んで山に登ってきたカルソリオ代表は、「日本人はチームワークがうまい。アメリカ人は個人主義だが、一旦、共通の目標を持つと、素晴らしいチームワーク力を発揮する。メキシコ人は、共通の目標を設定し、そのために努力するというのが苦手で、途中のプロセスを楽しんでしまい、肝心の目標を忘れがちだ」という。そのため、CEMの野外体験ゲームでは、目標達成に最大の重点を置いている。「メキシコ文化を熟知していることが、我々の強み」とカルソリオ代表は語る。北米自由貿易協定(NAFTA)の施行で、米国の影響がさらに増すであろうメキシコでは、自国の独立性および文化固守の気運が高まっている。

<危機に直面したときに大切なのは反応の速さ>

 メキシコといえば、昨年末、ペソの切り下げと変動為替相場への転換による通貨危機が起こり、経済は混乱をきたしている。大幅な解雇や賃金カットに加え、ガソリン価格の35%値上げなどが相つぎ、先行きは暗い。また、昨年の2つの政治家暗殺事件に関する疑惑で、政治界も混沌としている。

 CEMでも、95−96年は、セミナー・研修の契約も多く、登山遠征のスポンサー企業も集まり、見通しは明るいと喜んでいた矢先の出来事。今回の経済危機で、契約の8割が「これからの状況による」というスタンバイ状態、つまり事実上のキャンセルとなった。「このままでは、事業の維持に支障はないものの、成長ができない」とカルソリオ代表は語る。夫妻は、メキシコの内陸部にあるモンタレーに新たにセンターを建設したいと考えているが、その実現は少し先になりそうだ。

 カルソリオ代表は、『エン・フォルマ』という全国新聞のコラムニストを務めているが、そこで「今回の経済危機は、登山でいえば嵐である。この嵐を乗り切った企業は、強くなる」と書いている。夫妻は、昔、アルゼンチンの山の絶壁を登っているときに、嵐に逢ったことがある。「山に落雷し、感電しないように、みぞれが降る中を全速力で逃げた。おかげで、間接的に放電を受けただけで済んだ。危機に際し、最も大事なのは、反応の速さだ。今回の経済危機に対し、メキシコ企業がどれだけ迅速に対応できるかどうかが鍵である」

 自らも、「創業以来、最大の危機を迎えている」というカルソリオ夫妻だが、これまで山で何度も出会った嵐を乗り越えたように、今回の嵐も乗り越えられると信じている。  
ベンチャーリンク誌95年6月号に掲載
Copyright GlobalLINKTM 1995

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