韓国
酒を交えての商談はタブー?--韓国・女性経営者事情
(社)韓国女性経済人連合会(Korean Businesswomen's Federation)
- 設立-------1976年
- 会員数-----正会員約200人 準会員約100人
第一重機工業株式会社
- 設立--------1958年
- 所在地------釜山
- 代表者------許福善
- 事業内容----重機器製造
現在も儒教的価値観を守る国。日本より男性中心の社会。とくにビジネスの世界ではその傾向が顕著ーそういったイメージの韓国で、自ら経営者として生きる女性はどういう人なのか。
じつは1966年頃から、すでに女性経営者たちが親善を図るために集まり始めていた。76年、この集団は正式に社団法人として発足し、現在「韓国女性経済人連合会」(以下、連合会)と名称を改めて活動している。会員数はおよそ正会員200人、準会員100人にまで増えている。法的に認められている韓国唯一の、女性経営者・会長・社長・理事による、女性会員だけの社団法人である。最近では、かつて男性オンリーであったような業種にも、女性が参入しているという。
韓国では、儒教思想はいまでも大切にされている。たとえば、女性は公の場で酒を飲みにくい。男性なら、酒を交えて商談したり交流を深めることができるが、女性には好ましくないとされている。
韓国人女性は、早い人では大学3年頃からお見合をし始めるといわれている。そして、女性はある年齢に達したら、結婚することを勧められる。最近の日本では、離婚歴のある女性が堂々と「バツ1です」と言えるようになったが、韓国では考えられないことだ、と今回の取材の通訳兼コーディネーター、大韓貿易振興公社の朴氏は言う。彼は、94年9月まで3年間日本に赴任していた。
今回登場する3人の女性は、いずれも連合会の会員だ。あるデータによれば、韓国の中小企業経営者の開業動機として、「普段の思想を実現させたい」と答えた人が28%を占めているという。この3人も、自分たちの夢をビジネスにつなげよう、と励んでいる。
彼女たちが成功した理由は、無理に男性のマネをせず、女性のもつよさを会社経営に活かしたこと。そして、男性が見落としがちなところに目を向け、うまくビジネスにつなげていったこと、ではないだろうか。
<財閥の娘はいない。会員は皆、自力でやってきた人>
(社)韓国女性経済人連合会本部は、ソウルの永登浦区(漢江に浮かぶ島)にある。同会はこのほか、釜山などの主要5都市に支部をおき、韓国全土にネットワークを広げている。入会は容易ではなく、基本的な条件としては、1)製造業の場合、資本金1億ウォン(約1300万円)以上、2)中小企業法に準じ、経営する会社の従業員数は、およそ10人から300人である、3)夫の会社でも自分が経営していること、などが挙げられる。さらに、理事の審査をパスしなくてはならない。自力でやっってきた女性が会員として望ましいので、大財閥の令嬢は会員にいないそうだ。
連合会会長は、民主主義精神にのっとり、3年ごとに会員による選挙で選ばれる(韓国では社団法人の理事は、3年ごとに変わらなければならない)。今年、第8代目会長に選ばれた許福善(ハー・ポクサン)氏は、釜山に本社のある第一重機工業(株)の会長でもある。84年には、全斗韓大統領から国民褒賞を受けている許会長だが、「肝っ玉母さん」といった感じの女性だ。
エンジニアである夫と二人三脚で37年間、会社をやってきた。大学での専攻が家庭科だった許会長が重機械という異分野でやってこられたのは、男性を積極的に活用したからである。
「女性だけつかうのではなく、重役に男性を起用し、彼らの持つノウハウを利用。よさを引き出すようにしました」(許会長)。
「社員に仕事を楽しませるようにしたため、自分たちの能力が最大限に活かせる会社に対する忠誠心も育った。男性と女性のもつ異なる長所を引き出そうとした」と許会長はいう。彼女は、部下と家庭的なつながりをもつように、経営者としてばかりでなく、若い頃は姉のように、今では母のように社員に接している。社内から優秀なエンジニアを選び、日本やアメリカに派遣して勉強させ、帰国後は海外で得た知識をフルに発揮させる。
韓国男性の意識は少しずつ変化し、女性の下でも抵抗なく働く男性が増えてきている。しかし、女性経営者が男性経営者と全く同様に部下と接するわけではない。酒はまず飲まない。そして「礼儀正しく仕事すること。そうでないと、男性からの尊敬は得られません」と、許会長はいう。女性経営者に、男性にはない緊張感がつねに伴うのは、こういった事情からかもしれない。
取材後、許会長は初めて韓国を訪れた筆者に、伝統的韓国料理をご馳走してくれた。連合会副会長であり、調理師学校を経営する河淑貞(ハースクジュン)院長と許会長は、食事中、韓国料理とその食べ方について説明してくれた。
このような周りの人への気配りが、許会長成功の最大の秘訣なのかもしれない。
<当時未開のリハビリ分野に着手。海外に出て見聞を広める>
国際貿易株式会社(KUK JAE Trading Co., Ltd.)
- 設立--------1978年
- 所在地------ソウル
- 代表者------宋考順(ソンヒョースン)
- 売上--------62億ウォン(約8億円)
- 従業員------30名
- 事業内容----医療機器輸入
医療機器専門輸入会社である国際貿易はリハビリテーション機器に強く、国内市場65%のシェアを占めている。これからは、白血病患者向け無菌室の輸入も始める予定だ。
宋代表は大学で国文学を専攻し、卒業後は貿易会社に就職した。78年に退職し、会社を設立。わずか28歳だった。この決意をさせたのは、当時の韓国の風潮だったようだ。
「女性が28歳になると、結婚か退職しか(選択が)ありませんでした」(宋代表)
結婚の予定がなかった宋代表は、退職して独立するしかなかった。
ビジネスを始めるにあたって考えたのは、儲けることより人の役に立つことだった。交通事故で骨折し、回復の思わしくなかった知人がスウェーデン製のリハビリ機器を使ってすっかりよくなった、と言っていたことからヒントを得た。当時の韓国で、リハビリは未開に近い分野で、その重要性はほとんど理解されていなかったという。人道的目的のビジネスならこれだと思い、会社設立に踏み切った。
資金は、女友だちが積極的に貸してくれた。彼女たちは自分で会社を設立する勇気はなかったが、女性経営者の出現を期待していたからだ。
韓国では89年から海外旅行が完全に自由化されたが、宋代表はずっと以前から海外に出て、見聞を広げていた。会社を設立していたし、輸入会社であったため、幸運にも商用ビザが取得できたからだ。リハビリの本場である北欧には、視察のため真っ先に赴いた。「80年から84年まで(国際線)飛行機内で、女性は私ぐらいでした」。
宋代表はビジネスについてさらに学ぶため、会社を経営しながら大学院に通い、MBA(経営学修士号)を取得したが、59人のクラスメートは全員男性だったそうだ。このように、医療機器、MBAといった男性主流分野で、つねに女性というマイノリティー的存在の同代表だが、男性のマネはしなかった。
最近では女性の後輩たちが彼女のところへ、アドバイスを求めにくる。女性が経営者としてやっていくには、1)ただ男性のマネをしても失敗する可能性大なため、女らしくやること。2)不確実な未来を正確に判断するよう努力すること、だという。
女性の長所である緻密さ、きめ細かさを活かす。男性のように酒を飲まない。また、自分より優秀だと思えるような人と交渉する際には、緊張せず自然体でいくように、と宋代表は強調する。
不確実な未来を正確に判断するように努力することは、同代表の成功の鍵でもある。85年から86年まで約1年半にわたり、韓国政府は国内製品を守るため、一部の医療機器の輸入を禁止した。宋代表はすぐ再び開放されるだろうと予測し、このあいだに現在の取引会社である日本のITO超音波(株)と交渉を続けていた。そして87年、予想どうり市場開放になると、さっそく薄利多売戦略に踏み切った。「競合会社が20台購入したら、私はその7〜8倍の150台を購入しました」(宋代表)
他社の半値ほどで医療機器を売り、マーケット・シェアを拡大した。以前は主に韓国の別の輸入代理店から医療機器を購入して販売していたが、87年からは本格的に代理店として独立した形になった。
宋代表の夢は国内にリハビリ・センターを設立し、その代表理事長になることだという。韓国には、専門病院としてのリハビリ・センターはまだ存在しない。彼女は、医療機器のプロが見ても納得するような、本格的な施設を目指している。
「私にとって、会社が夫であり青春であると思って、一生懸命やってきました」と言う同代表だが、よい経営者になるには孤独に耐えることだ、としみじみ語ってもくれた。
<日本のコンビニ弁当がヒント。新しい世代のニーズに応える>
(株)富味食品(B.M. Foods Co., Ltd.)
- 設立--------1990年
- 所在地------釜山
- 代表者------鄭善花(チョンソヲンホワ)
- 資本金------1億ウォン(約1300万円)
- 売上--------10億ウォン(約1.3億円)
- 従業員------30名
- 事業内容----弁当惣菜製造
弁当・惣菜製造販売業である(株)富味食品は、創業3年目にして売上げ10億ウォン(約1億3000万円)を記録した。コンビニエンスストアチェーンである“Buy the way”と提携し、100店舗に商品を卸している。そのほか、直営店である“Chan nuri”(韓国語で、おかずの世界という意味)を、ソウルに6店舗展開している。
一男一女の母でもある鄭代表は、82年にバッグの下請け製造会社を設立したワーキングマザーだ。ビジネスを始めた理由は、いわゆる“内助の功”である。
長男である同代表の夫は、合わせて8人いる弟と妹の学費と結婚資金の面倒をみてやらなければならなかった。サラリーマンの夫の収入だけでは無理があったので、長男の妻である自分がビジネスを始めて家族親戚のためになろう、と決めた。ミシン5台で始めたこの会社は少しずつ波に乗り、86年には貿易会社となった。ハンドバッグを日本やアメリカに輸出していたが、中国・東南アジア製の低価格商品に押されてきた。
何か新しいビジネスを始めようと思っていたとき、日本のコンビニで売られている弁当、サンドイッチ、1人分の惣菜からヒントを得た。 平均的韓国人家庭では、1日に白菜半株分くらい食べてしまうというキムチだが、作るには丸1日かかってしまう。ワーキングマザーにはかなりの重荷である。会社帰り、自宅ですぐ食べられるようなおかずを買って帰ることができたら、どんなに便利だろうか。独身・共働き夫婦が増えているソウルでは、きっとそんな思いをしている人がたくさんいるだろう、と同代表は予測。韓国では、食事は自分の家でとる、という観念がとくに中高年齢者には強いが、コンビニのおもな顧客は10〜20歳代の新しい世代だ。“Buy the way”に、弁当・惣菜のアイディアをもちかけると、あっさりビジネスがまとまった。
約7億ウォン(約9100万円)を投資して建てた工場は、ほぼ24時間稼働し、ランチとディナーを製造している。鄭代表は、毎朝7時半に出勤して自ら味を確かめる。消費者の健康にも気を配り、4人の栄養士に献立を管理させている。
1人前3000ウォン(約390円)からの仕出し弁当は、30人分以上の注文なら配達サービスもする。日本の幕の内弁当に、漬け物のかわりにキムチが入ったようなかんじだ。運動会、ハイキング、法事などの集中する週末はとくに忙しく、地元の主婦をパートとして雇い、まかなっている。
弁当、惣菜を毎日作っているは富味食品が韓国で初めてだろう、という鄭代表。3カ月に1回の割合で日本のフードフェアなどを訪れ、研究を重ねている。韓国ではまだ新しい分野であるため、弁当・惣菜用の使い捨て容器の種類は限られている。将来的には、日本のコンビニで見られるような、貝殻を型どったような気の利いた容器を、韓国の業者に製造させるつもりだ。
鄭代表は、自分の目標をこう語る。「直営店を200店舗まで拡大すること。そして稼いだお金で、共働き夫婦の子どものために託児所を作りたいのです」。
ずっと働いていた同代表には、自分の子どもの面倒を十分に見てやれなかった、という思いがある。そのため、他の子どもにはそんな寂しい思いはさせたくないという。しかし、サービス業を勉強している同代表の長男は、将来母親の会社を継ぐつもりだし、長女は自ら留学を決め、現在オーストラリアの高校で勉強しているという。2人は経営者の母から、自然に独立精神を学んでいたにちがいない。
取材・文-----伊藤葉子
ベンチャーリンク誌95年2月号に掲載
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Revised on 12/9/96 11:40 p.m. JM