イスラエル


マジック・ソフトウエア・エンタープライズ株式会社



 昨年、ラビーン首相の暗殺で話題になったイスラエル。日本では馴染みの薄い国だが、日本との類似点は意外に多い--天然資源に乏しい小さな国であり、唯一の資源は、勤勉で生産性が高いといわれる国民の頭脳と労動力。また、国内市場が人口500万人と小さいため、輸出指向が高く、輸出産業育成のための政府の援助も手厚い。

 科学者と技術者の割合が世界でもっとも高く、優れた技術力を誇るイスラエルだが、国家主導の社会主義的経済とインフレのため、過去、経済は伸び悩んできた。しかし、ここ数年、国営企業の民営化と規制緩和を通じ、目覚ましい経済発展を遂げている。特にハイテク産業の伸びが著しく、半導体やテレコミュニケーション分野では、世界をリードしている。

 こうしたハイテク企業は、軍部や大学の研究開発機関でトップ技術を身につけた起業家たちによって始めらるケースが多い。防衛力が国の存続に大きく関わるイスラエルでは、男女ともに兵役が義務づけられており、軍部は高度な技術力を身につける最高の訓練機関である。また、イスラエルでは、人口に対し大学の数が多く、大学卒業者の数は世界でも指折りだ。

 こうして起業熱が盛んになったイスラエルだが、テルアビブ証券取引所は、成長株のハイテク産業を育てるには小さすぎ、国内での資金調達には限りがある。そのため、多くのベンチャー企業は、資金を求めてアメリカ株式市場に進出する。アメリカの方が、将来有望なハイテク産業に対する株価も高く、またアメリカで株が取引されている方が、アメリカ市場への参入が容易であるという利点がある。現在、アメリカの株式市場で株を公開しているイスラエル企業は60社以上にのぼり、カナダに次いで2番目に多い。そして、その多くがハイテク関連企業である。

 コンピューターソフトの開発ツール、「マジック」を開発したマジック・ソフトウエア・エンタープライズ株式会社(MSE)も、軍部と大学機関を背景に生まれた技術力をもとに、アメリカで資金を調達したという意味で典型的なイスラエルのベンチャー企業といえる。

 MSEは、1983年に、親会社マッショブ・コンピューターからスピンオフをして設立された。マッショブ社の創立者で、MSEの最高責任者でもあるデイビッド・エッシア氏は、スイスの金融機関で働いた後、イギリス企業で管理職研修と小売管理を担当。その後、故郷のイスラエルに戻り、イスラエル防衛省でコンピューター部門の管理を務めた後、マッショブ社の会長であるジャック・ダニエッツ氏とともに、ソフト開発事業に着手した。

 ソフト開発ツール「マジック」は、マッショブ社が、イスラエルの大手銀行から投資管理プログラムの作成を依頼されたのを機に生まれた。元々、「マジック」は、現在では、MSE社のコンサルタントを務めるジョナサン・ハシュキッシュ氏が、学生時代に書いた「コンピュータープログラムの新しい作成方法」という修士論文を基に開発された。同時に、当時、イスラエル防衛省内でも、コンピュータープログラムの新開発方法が研究されており、その開発スタッフの一部が「マジック」開発に寄与した。まさに、軍部と大学機関の頭脳が合わさって生まれた製品といえる。

「マジック」開発者の一人であるミコ・ハッソン氏は、イスラエルで最高とされる工科大学を卒業し、アメリカでの「マジック」の代理店、エイカー・コーポレーションの創立者の一人でもある。同社は、のちにMSEに吸収され、同氏は、現在、アメリカ支社で製品担当副社長を務める。

 「マジック」というのは、クライアント・サーバー・システムというコンピューターネットワーク用開発ツールだが、従来の開発ツールと違い、複雑なプログラムコードを使用することなく、100%テーブル方式でプログラムを書くことができる。従来のツールに比べ、プログラム作成のスピードが大幅に速くなり、開発コスト、さらに維持コストが削減できるという利点がある。

 「マジック」のユーザーには二種類あり、まずVARと呼ばれる付加価値を加える再販者であるソフトウエアハウス。これらの中には従業員1ー5名という極小企業も珍しくない。もうひとつは、社内で情報システム部を抱える企業である。マジックは、世界各国で様々な業界で使用されており、応用例には、アメリカ国内に1500のフランチャイズ店を持つドーナツメーカーの配達ルートシステム、日本の製薬会社の顧客情報管理システム、オランダのフルーツ貿易会社の在庫管理システム、カナダのコンピューター修理会社の品質トラッキングシステム、イギリスの自動車メーカーの請求書処理システムなどがある。

 「マジック」のユーザーは”マジシャン”と呼ばれ、ユーザーグループもあり、一種のコミュニティを形成している。「”マジシャン”というのは、単なるユーザー、顧客ではありません。マジックというのは、いわば宗教みたいなものなのです。ユーザーは、心の底からマジックを信じていて、開発環境を革新することが自分たちの使命だとでも思っているようなところがあります」 同社は、昨年、ユーザーサポートシステムとして、全米に「マジック大学」と呼ばれる研修機関を設置した。また、社員が始めた別会社を通じ、全世界のユーザー向けに隔月で雑誌も発行している。

 91年にアメリカのNASDAQで株式を店頭公開し、800万ドルの資金を調達した同社は、アメリカ株式市場で資金調達に成功したイスラエル企業として草分け的存在だという。マーケティング担当副社長のジェフリー・スター氏によると、「株式公開は、資金調達だけを目的にしたわけではなく、マーケティングの手段でもあり、市場で注目を集め、かつ信用を高めるという狙いがありました」 株式公開の影響は大きく、91年に500万ドルだった売上が92年には2倍の1000万ドルとなった。(図参照)

 MSEの製品といえば、「マジック」のみ。しかし、様々なコンピューター(プラットフォーム)に対応するため、アプリケーションの数は多い。また、主要ヨーロッパ言語だけでなく、日本語、韓国語、ハンガリー語、クロアチア語など、21言語のバージョンを揃えており、現在、45ヶ国で販売されている。

 MSEは、社員数は全世界でわずか200人余ながら、イギリス、オランダ、ドイツ、フランス、アメリカに子会社を持つ。海外進出は、創立時からの戦略だった。「イスラエルのように国内市場の小さな国では、特にハイテク産業が生き延びるには、より大きな市場を求めて海外に進出するしかない。選択の余地はないのです」(スター副社長)

 同社では、当初から多言語バージョンを備え、まず地理的にも近いヨーロッパとアジア市場にターゲットを絞った。両市場は、アメリカ市場に比べ、競争も緩く、参入コストが低い。「アメリカ市場への参入には莫大な投資が必要です。特にインフラやマーケティングに非常にお金がかかる。それに比べ、ヨーローッパとアジアは、人間関係重視の商売が行なわれるため、それほど初期投資がなくても市場に参入ができる」というスター副社長は、半年前まで、イスラエルの本社で全世界のマーケティングを担当していた。今回、競争の激しいアメリカ市場でマーケティングを強化するために、カリフォルニアに赴任したところだ。

 同社の売上分布は、現在のところ、ヨーロッパとアジアがそれぞれ約30%、北南米が25%を占める。アジアでは、その24%を日本市場が占めている。

MSEでは、海外市場の中でも、特に日本市場には、当初から注目していたという。「当時、日本の開発ツール市場はがらあきでした。我々は88年、マジックが完成する以前に、日本でパートナーを見つけ、18ヶ月かけてローカリゼーションを行ない、90年に販売を開始しました」 同社が日本で成功した理由は、「マジックには、日本人の価値観が備わっているのです。生産性の重視、品質管理の重視、そしてソフト製造の自動化。日本では、”ソフト工場”という概念があり、ソフトも車や電気製品と同じように大量生産されるものと見なされている。これは世界的にも珍しい現象です。他の国ではソフトは一種のアートと見なされている」 日本でのユーザー数は、1000社以上のソフトウエアハウスと、大手自動車メーカーやコンピューターメーカーなど、15、000社にのぼる。

 同社の海外戦略は、現地市場でパートナーを見つけ、このパートナーと組んで製品のローカリゼーション(現地仕様化)や販売を行なうというものだ。たとえば、イスラエル本社には、日本のディストリビューターの技術者が常駐、日本側にはイスラエルからのスタッフが常駐し、本社と現地の両方でローカリゼーションを進める態勢が整っている。「ローカリゼーションを通じ、パートナーとの関係が密になります」とスター副社長はいう。パートナーには、顧客となり得るソフトウエアハウスではなく、アプリケーション開発もある程度行なうソフトのディストリューターを選ぶ。「日本のディストリビューターはMSEの株主でもあり、各国のパートナーと運命共同体的な長期ビジネス関係を結ぶことが、海外で成功した要因のひとつでしょう」

 日本語と同様、ヘブライ語という海外では通用しない言語が使われるイスラエルでは、ソフトを海外に輸出するには、ローカリゼーションは避けては通れない課題である。また、国民のほとんどが英語を話すイスラエルでは、ソフト開発ツールのほとんどがアメリカ製の英語版であり、「マジック」のようにヘブライ語版があるのは、逆に珍しいそうだ。「ヘブライ語版を持っているということで、国内市場でも優位を保てました」

 スター副社長は、各市場に合わせたローカリゼーションが同社が海外で成功した理由のひとつだという。「ローカリゼーションには3段階あります。まずはデータのローカリゼーション。次に全環境のローカリゼーション。最後に技術文書のローカリゼーション。同社ではこの第三段階までの完全なローカリゼーションを行なっています。アメリカ企業の場合、ローカリゼーションを行なっているといっても、たいていこれの三分の一しか行なっていない」

 創業時より、売上も社員数も順調に伸びてきたMSEだが、研究開発やマーケティングに注ぎ込む経費は大きく、必ずしも利益をあげているわけではない。ハッソン副社長は、「当社は、急速に成長したため、マンパワーが成長に追いつけないでいる。しかし、社員を増やすには、さらに成長する必要がある」と急成長した企業に特有の悩みを語る。

 同副社長は、「ひとつの製品を世界市場に売り込むだけでも大仕事」というが、「将来は、製品の販売だけでなく、サービスやコンサルティングの提供に力を入れていきたい」とも。「ツールとノウハウは確立された。次はいかに必要な解決方法やサービスを顧客に提供するか」「企業のリストラが、多くの先進国で行なわれており、より少ない人員とコストでソフト開発を達成できるマジックにとっては、大きなチャンスです」


取材・文-----有元美津世
ベンチャーリンク誌96年3月号に掲載
Copyright GlobalLINKTM 1996

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