ハンガリー


元社会主義国でビジネスチャンスをつかんだ外国帰りのハンガリー人


マリー・クリスチャンセンのサンドイッチバー


<経済の自由化が進み、10人に1人が起業家>

 1989年に旧ソビエトの支配を離れ、民主選挙による政府が登場して以来、ハンガリーは、近隣諸国より秀でた経済発展を遂げてきた。1960年代より徐々に改革が進められてきた同国では、主に海外からの投資によって国営企業の民営化が進み、91年の終わりまでに、市場の75%が民営化されていた。

 会社設立や海外からの投資に関し、自由競争的な法律も施行された結果、海外からの投資は、89年以降、年に約15億ドルの割合で増加し、今日までに累計で85億ドルにのぼっている。これは旧東ブロックでは最高であり、ハンガリーの赤字国政を補い、インフレを抑制するのに役立っている。外国企業とのジョイントベンチャーも89年の1,300から91年には11,000に増加。これは、ハンガリーの4倍の人口を抱えるポーランドの2倍近くにのぼる。また、外資系企業による輸出は、全輸出額の4割に達している。

 95年のインフレ率は25%と予測されているが、これは、ロシアの215%やブルガリア108%に比べれば、格段に低い。

 ハンガリーの平均月給は3万円で、東欧ではソルベニアに次いで高い。しかし、公的市場の半分の大きさのヤミ市が存在するといわれており、国民の実際の収入は、公式の数字よりかなり高いと思われる。それを証拠に、ブタペストの街には高級輸入車があふれ、自動車電話の所有者は人口約1千万人のハンガリーで20万人にのぼっている。外国語を学習し、頻繁に海外渡航する人口も増え続けている。また、こうした新中産階級を対象にした高級品を扱う小売店やレストランがあちらこちらでオープンしている。

 経済の自由化が進むとともに、起業家の数も増加しており、82年に14万人余りだったその数は91年には30万人となった。全企業に占める従業員20人以下の企業の割合は、88年には19%にすぎなかったが、91年には56%を占めるに至った。さらに、92年には新事業届出の8割以上が、従業員20人以下の小事業であった。今では、ハンガリー人の10人に1人が、自らを「起業家」と名乗る。

<ビジネスチャンスをつかむ外国帰りのハンガリー人>

 こうした起業家の中には、外国帰りのハンガリー人や外国人が多く含まれている。金利が40%にのぼるハンガリーでは、起業資金の調達が最大の難問である。海外で外貨を稼いだハンガリー人や海外に資金源がある外国人でなければ、なかなか資金が調達できない。また、社会主義下で教育を受け、国営企業で働いてきたハンガリー国民にとって、ビジネス経験や経営ノウハウの欠如も難点である。この点でも、外国帰りのハンガリー人や外国人は、海外で得たビジネス知識や経験を役立て、市場経済がまだ成長段階にあるハンガリー市場にビジネスチャンスを見い出している。

 94年5月にブダペストに開店したマリー・クリスチャンセンのサンドイッチバーも、外国帰りのハンガリー人、ペーター・サボ氏と、デンマーク人のマリー・クリスチャンセン氏によって始められた。スイスでホテル経営学を学んだサボ氏は、ロンドンのヒルトンホテルに就職し、同ホテルで働いていたクリスチャンセン氏と知り合った。

 「ハンガリーは、市場経済に移ってまだ間もなく、市場にはチャンスがたくさんある。それに、ブダペストは私の故郷。地元の文化や方式をよく心得ている」と、二人は、一流ホテルでの経験を生かし、ブタペストでサービス業を始めることにした。

<ヘルシー指向で外国人をターゲットに>

 社会主義の体制下では、国民の多くが食堂付きの国営企業で働いていたため、昼食に外食するという習慣がなかった。町には、ハンガリーの伝統料理を販売するデリカテッセンはあるが、ラードを使った脂っこい料理が多い。ハンガリーでも健康食指向が広がりつつあり、二人は、ブダペストにはそれまでなかったアメリカンスタイルとデンマークスタイルのサンドイッチを販売することにした。デンマークスタイルのサンドイッチというのは、クリーム状のドレッシングを使ったツナサンドイッチ。お客が自分で好きな材料を好きなように混ぜることもできる。

 ブダペストには、マクドナルド、バーガー・キング、ケンタッキー・フライドチキン、ピザ・ハットなどアメリカ系のファーストフード店が既に何十軒と進出しているが、これらの店では、管理職をアメリカから派遣し、また材料の一部も輸入するため、コストが高く、アメリカ並みの価格で販売している。一方、マリー・クリスチャンセンのサンドイッチバーでは、価格は100円〜300円と、アメリカ系ハンバーガー店の半額である。

 同店の顧客の7割は、ブダペストで働くアメリカやヨーロッパからの駐在員や留学生から成る。ここで二人の海外経験と、英語、フランス語、ポーランド語、デンマーク語を操る語学力が役に立つ。

 口コミで大企業から昼食配達の注文が入って以来、同店では積極的に企業にアプローチをしている。「ターゲット企業の購買部長に無料サンプルを20食、私が自ら届けて試食してもらうことにしている」(サボ氏)。今では、企業向け配達昼食が、商売の3割を占める。同店は、週末は営業していないが、週末に研修などを行なう企業への配達サービスだけは行なっている。外資系のファーストフード店で配達をするのは、ピザ・ハットとケンタキーのみだという。

 開店直後、月4000食だった販売数が、現在では14,000食に増加。50万円だった月間売上も、一年後には120万円に達した。ハンガリーの平均月給が3万円であるというから、これは相当の額である。同店では、広告は一切使わず、ほとんど口コミに頼っている。特に小さな外国人コミュニティでは、口コミが効果的だ。また、英語新聞の記者が同店のサンドイッチを試しに来て以来、同店は、同紙のお勧めレストランコーナーで常時、紹介されている。「うちは、広告を出したことがない。作ったのは名刺だけ。これからも、広告を出すつもりはない」とサボ氏は言い切る。

<元社会主義国での起業に伴なう障害>

 しかし、元社会主義国での起業には、やはり多くの障害が伴う。レストラン事業も例外ではない。
 元社会主義国の官僚主義体質は知られるところだが、二人も「開店のために必要書類を揃えて、政府の許可を得るのに一年かかった」 「官僚主義の壁を乗り越えるには、有能な弁護士を雇い、タップリ報酬を払うこと。弁護士なしでは、必要な書類を作成するのは無理。また、重要人物との人脈も必要」とサボ氏はいう。「英語を話せる政府高官はほとんどいないので、外国人が会社を起業する場合、弁護士以外に、手続きに詳しいハンガリー人を雇うことが不可欠」とも。

 そして次の壁は、業者などの仕事や契約に対する無責任な態度だった。「店内の改装工事が43日も遅れたのに、請負業者は知らん顔。契約で罰金の支払いが定められているにもかかわらずだ。業者ともめている間に、ビルのオーナーは、スキー旅行に行ってしまったよ」 改装工事請負業者とは、現在も法定で闘争中で、決着がつくまで1ー2年はかかるとサボ氏は語る。 

 また、創業資金を集めるのにも苦労した。金融期間の金利は40%であり、旧国営銀行は国営企業への貸し付け金を回収できず、民間小事業主に貸せるだけの余裕はない。さらに、破産の際に債権者による家屋や自動車の差し押さえが禁じられているため、こうした資産を担保に借金することもできない。二人は、貯金と親戚からの借金で500万円を用意した。

 創業後は、材料の品質と供給の安定が大きな課題となっている。サボ氏は、「パン屋が時間通りに配達するかどうかあてにならないので、毎朝5時に起きて、6時に自分でパンを仕入れにいく」 この食パンも、毎日大きさと形が違うという。パン屋に文句を言っても、何とかするというだけで一向に事態はよくならない。また、ツナの卸商は、何の予告もなしに商品の仕入れを止めたという。卸商はよく売れる商品しか在庫しないため、必要でなくても、見つけたときに買いだめをしておかなければならない。「この国では100%確実などというものはない」(クリスチャンセン氏)

 また、年間25%のインフレ率、下落を続けるハンガリー通貨のフォーリント、上昇を続ける輸入関税などのために、価格設定が一番大きな問題だという。「数日前にも、ツナとサーモンに対する関税が4割も引き上げられた。開店から一年の間に、もう3度も値上げせざるを得なかった」(クリスチャンセン氏)

 これに加え、高税率という重荷もある。個人所得税率は44%、年金の企業負担率は給与の48.4%にのぼる。また、たとえ損失を計上しても、事業には2%の取引税が課せられる。これは、ヤミ市での売上から税金を取り立てるための政府の苦肉の策である。

 さらに、社会主義下で長年はびこった労働倫理のため、質のいい従業員を見つけるのも難しい。「この国では、何もせずにお金を稼ぐことしか考えていない人が多い。採用の決め手は、サービス精神を備えているかどうか」(クリスチャンセン氏)

<海外での経験を生かした顧客サービスで成功>

 こうした厳しい状況の中で、同店が成功している理由はいくつかあるが、やはり二人が海外での経験を生かし、ハンガリーでは得られないレベルのサービスを提供していることが最大の理由だろう。「欧米諸国で見られるような顧客サービスは、この国では見られない。私も7年間、海外で生活をしなければ、ハンガリー式に何の不満も抱かなかったと思う」(サボ氏)

 レストランなどでのサービスの悪さは、ハンガリーに限らず、東欧全体に共通しているようだが、まずウエイターが見つからない。やっとやって来たウエイターもまったくサービス精神は持ち合わせていない。それどころか、お客をだます者も少なくないそうだ。

 アメリカ人在住者の話では、お客がテーブルに座ってから、ウエイトレスがやって来るまで15分かかった。注文をし始めると、「それは作るの難しいから、すごく時間かかる。今、すごく忙しいから」と平気で言う。それでも待つと客が言うと、注文の途中でウエイトレスは「ちょっと待ってて」とテーブルを離れ、結局二度と戻って来なかった、というようなことが日常茶飯事だそうだ。

 こんな中で、マリー・クリスチャンセンのサンドイッチ・バーでは、欧米並みのサービスを提供する。「一度、アメリカ人の旅行客が、サンドイッチと一緒にポテトチップを注文した。ポテトチップはあまり売れないので、置くのをやめていたが、その客のために角の店まで買いに行った。もちろん、利益など得られなかったが、そのアメリカ人は次の日もまた戻ってきたよ」(サボ氏)

 そして、このサービス精神は従業員の間でも徹底している。同店では、社会主義思想に洗脳されていない若い人材を雇い、徹底的にサービス精神をたたき込む。また、従業員にできるだけ長く働いてもらえるよう、給料とチップ以外に、店の売上と個人の成績に合わせてボーナスを支払うなど労働条件を整えている。「うちでは、一日中、食事は無料で好きなだけ食べてもらうことにしている。ブダペストでは、従業員にも定価で食費を請求するレストランが多い」(サボ氏)

 さらに、サボ氏はホテル経営学を勉強し、実際にホテルで中間管理職として経験を積んでいる。ハンガリー国民のほとんどが、長年、国営企業で勤めてきたため、事業計画書の作成方法、マーケティング戦略の立て方、資金集めや経営方法などに関する知識や経験がない。

 もちろん、彼らの成功は、ハンガリーでは伝統的でない働きぶりに依るところも大きい。二人は、毎朝5時に起床。6時に買い出しに行った後、6時半には配達用のサンドイッチ作りを開始し、10時に開店。閉店の9時まで働き続け、掃除や片付けが終わるのは夜の11時である。

 「この国で成功するには、我慢と固い決意なしでは無理」と二人は断言する。また、この数年、市場での競争が激化してきたため、今までのようにはいかないという。

 しかし、二人は、ファーストフード市場にはまだまだ可能性があると見ている。「あと1ー2店は、店を開きたい。この国で借金をするのは無理だが、投資家やフランチャイズ方式を利用することを考えている。いくいくは、ホテルをオープンしたい」
取材・Carlos Kessaris
文・有元美津世
ベンチャーリンク誌95年8月号に掲載
Copyright GlobalLINKTM 1995

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