グアム

グアム唯一の石鹸メーカーを経営する27歳



自ら事業を始める人は少ないグアム

 わずか3時間でいけるアメリカということで、日本人観光客を惹き付けてきた、ミクロネシア最大の島、グアム。近年、香港や韓国からの旅行者の増加に伴い、街にはチャイニーズレストランやハングル文字が増えた。異文化の“良い点”は積極的に取り入れるというこの島には、日本独特の交番も現われた。地理的条件と日本統治という歴史的背景から、グアムにはアジアの影響が濃い。そのためか、家族の絆を大切にするというのも、グアムの人々の特徴だという。

 地元のほとんどの人が、観光ビジネスか政府機関で働いているというグアムにはサービス業を除くと、これといった産業がない。また、島の経済が安定しており雇用機会も多いため、自ら起業する人は少ないという。

「もし、この平和な島に“何か”が起こって観光客が来なくなってしまったら?」と、当時グアム大学でビジネスを専攻していたエリック・アダ社長は考えていた。彼は、サービス業中心の経済から脱皮するには、輸出可能な製造業を始めるべきだ、と思っていた。

 アダ社長は、自分の一族が、かつて営んでいた石鹸ビジネスを復活させるため、1991年に会社を設立。島の人々への想いを込め、会社は「ハファ・アディ・(グアム先住民であるチャモロ族の言葉で“こんにちは”の意味)ソープ社」と命名した。現在、石鹸、ココナッツオイル、シャンプーを製造し、グアム特産品として販売している。昨年は、25万米j(約2500万円)を売り上げた。石鹸を製造販売するグアム唯一の会社である。

 免税店やスーパーに商品を卸しており、同社の石鹸は観光客だけでなく地元の人からも愛用されているそうだ。また、グアムのおもなホテルでも、この石鹸が宿泊客に提供されている。現在、8時間起動の工場で、1日に8000個の石鹸を製造している。需要に追いつかなくなってきたため、近いうちに16時間起動可能の工場で、倍の量を生産することになっているという。

 日本では、いわゆる“一流大学”出身者は、大企業に就職したり官僚になることを望む傾向が強い。しかし、米国ではハーバードやエール出身の優秀な若者が、起業することを選んでいるという。アダ社長の場合も米国流だ。高校生のときからビジネスを始めよう、と決めていた彼は、つねに島の動きを観察し、島に何が必要なのかを考えていた。そして、保守的で起業家精神の育ちにくいこの島の人々に、やる気があればビジネスを始められるのだ、ということを理解して欲しかったという。

「自分が起業し、島の人々にとってのモデルになりたいと思っていました。そして、政府機関で働く人々には、私企業部門をうまく利用することを知ってほしかったのです」と、彼は当時を振り返る。

かつて曾祖父がやっていた 石鹸ビジネスを再開

 ビジネスになりそうなことなら何でも挑戦したい、というアダ社長。まだ27歳という若さだが、ハファ・アディ・ソープ設立前、すでに2つのビジネスを経験している。彼が大学1年のときのこと。叔母が中国人から買った、もやしビジネスを彼が引き継いだ。朝の6時〜8時まで、もやしの世話をし、商品を日本、ベトナム、チャイニーズ・レストランに配達したあと、授業に出席していた。彼が丁寧に栽培したもやしは好評で、やがて月に約2000j(約20万円)も稼げるようになった。学費は、この儲けで充分まかなえたという。

 数年後、友人にこのビジネスを売った彼が次に始めたのは、DJビジネスだった。アダ社長が幼なじみのトニー・クルーズ氏の家を訪れたとき、レコードを豊富にもっているクルーズ氏はDJを辞めようとしていた。パートナーが時間どおりに現われないためだ。

 さっそくアダ社長は新しいパートナーに名乗り出て、2人でビジネスを始めることになった。クルーズ氏がすでに所有する多くのレコードを利用し、結婚式、洗礼式、フィエスタ(祝祭)でDJサービスを行ない始めた。このビジネスはクチコミなどで軌道にのり、地元のラジオ番組でのDJも始めることになった。

 クルーズ氏は、現在、ハファ・アディ・ソープに勤務しているが、2人は、今でもサイドビジネスとして、週に数回DJサービスを続けている。

 アダ社長が石鹸ビジネスを始めるきっかけとなったのは、90年、父親と休暇で、たまたま同じくミクロネシア連邦のポナペ島を訪れたことだった。ココナッツの豊富なこの島で石鹸産業をみたアダ親子は、かつて一族も石鹸ビジネスを行なっていたことを思い出した。

 アダ社長の曾祖父にあたるジョセフ・アダ氏は、当時ドイツ領だったサイパンで、コプラ産業のスーパーバイザーをしていた。コプラとは、暖めるとココナッツオイルになる乾いたココナッツの実。ココナッツオイルは、石鹸の材料になる。

 ドイツ語が堪能だったジョセフ氏は、ドイツに留学するチャンスを獲得。現地で石鹸、写真、パン作りを学んで帰国した。彼は、サイパンには石鹸の原料となるココナッツオイルが豊富にあることから、このビジネスを選んだ。石鹸ビジネスは成功したが、彼が55年に他界したとき、一族でこの会社を継ぐ者はいなかった。石鹸製造は労働条件が厳しく、すでに政府機関で働いていたジョセフの息子たちは、その安定した仕事を続けるほうを選んだ。こうして、自然にビジネスは衰退してしまったというわけだ。

 そして91年、グアム特産品製造と一族の事業復活ということで、ジョセフの曾孫にあたるアダ社長が石鹸ビジネスを再開した。

 会社設立にあたり、アダ社長はポナペ島から、石鹸作りに熟知した2人の化学者をスカウトした。会社登録をすませ、学業のかたわら事業の可能性を検討し、石鹸製造を再開した。

 当初、曾祖父の行なっていたのと同じ方法で石鹸を製造してみようと試みたが、時間と人件費がかかりすぎることが判明。そこで、オイルを石鹸にする過程は省略し、チップを輸入するということで、落ち着いた。

常時配達の良質石鹸 ホテルなどから注文相次ぐ

 ハファ・アディ・ソープの石鹸は、ココナッツオイル100%であり、コストダウンになる動物性脂肪や研磨剤は一切含まれていない。そのため、泡立ちがいいという。また、保湿作用に優れたココナッツオイルが原料であるため、肌がしっとりする。

 現在、ココナッツ、ジャスミン、カラマンシ(レモンの1種)の香りの3種類を製造、販売している。グアム特産品であることを強調するかのように、パッケージには島の人々に語り継がれている、チャモロ伝説をモチーフにしたイラストが描かれ、側面には物語の説明が印刷されている。

 たとえば、カラマンシの香りに描かれている“シレナ伝説”。泳ぐことが大好きだったチャモロの少女シレナが、母親の手伝いもせずに海で泳いでいたため、母親の怒りの言葉により人魚になってしまった、という言い伝えだ。パッケージからも、グアムの香りが伝わってくるように工夫されている。

 製品群のひとつであるココナッツオイルは、グアムのみならずミクロネシアの人々が、昔から使用してきた多目的オイルだ。肌をしっとりさせ、保温効果に優れているので、早朝まだ肌寒い頃、釣りに行くさい、身体に塗るという使い方もされる。また、ミクロネシアの人々は、子どもに腹痛が起こると、このオイルを手のひらにとって暖め、おなかに塗っていたという。医学的根拠はないが、このオイルを髪につけると禿の防止になる、ともいわれているそうだ。

 93年、このような製品群が揃うと、アダ社長は地元のホテルへの売り込みを開始。まずサンプルを送り、試してもらった。そして、島唯一の石鹸製造会社ということが、同社のセールスポイントとなった。競合会社は、外国から石鹸を輸入販売している代理店であり、悪天候により石鹸を積んだ船が到着しなければ、商品を供給できないという弱点があった。地元製造のハファ・アディ・ソープは、顧客が必要なとき必要なだけ供給することが可能だ。そのため、ホテルでは、以前のように大量の石鹸をストックする必要もない。

 また、外国産のシンプルなパッケージに比べ、チャモロ伝説を描いた同社の包装は魅力的だった。さらにアダ社長は、顧客からの要望に応え、片面にはチャモロ伝説、もう片面にはホテルのロゴを印刷というように、臨機応変に対応している。注文に応じ、各ホテルのオリジナルパッケージも製造する。

 常時配達可能の良質石鹸ということで、次第に注文は増加。免税店からも、グアム特産品を欲しがっている観光客が多いので、特別の製品ラインを作って欲しいという注文がきた。この製品は間もなく販売になる予定だ。

島のハーモニーを大切にしたい

 2人の化学者とアダ社長で始めた同社だが、現在の従業員は8人になった。採用、営業、会計、納品といった全業務に携わるアダ社長。将来、島の人々にもっと雇用の機会を与えたいという彼は、採用には独自のポリシーをもっている。配達担当の2人の従業員は、以前スーパーマーケットで、値段張りをしていた。

「私は、好んでスーパー出身者を雇用します。彼らは、売れ筋の商品をよく理解していますから」

 また、この2人の従業員は、スーパーに顔なじみがいるため、ビジネスを円滑に運ぶのに役立つという。

 ハファ・アディ・ソープ社長にDJビジネスと、多忙な日々を送るアダ社長だが、同社での仕事は8時〜5時までと決め、残業はしないようにしている。大学時代から始めた合気道を今も続け、週3回、2時間の稽古は欠かさない。

「自分の時間を作り、リラックスする必要があります」といい、合気道の稽古により、精神鍛錬、平静、リラックスを学び、明日への活力にするだけでなく、その“和”の精神をビジネスに応用しているという。

 同社は、グアムの名門ホテルに石鹸を卸しているが、そのホテル名は教えてくれなかった。

「私が市場を独占しているのではなく、競合会社にも、まだチャンスがあると思って欲しいのです。何よりも、私は島のハーモニーを大切にしたいのです」

 攻めのビジネスマンというより、どちらかというとおっとりした青年という印象のアダ社長。しかし、将来への熱い抱負も内に秘めている。現在の製品群に加え、サンタン・ローションやリキッド・ソープの製造販売を考慮している。

 さらに、アダ社長は長期的目標をこう語る。

「今後は輸出を始め、ハファ・アディ・ソープを多国籍企業に育てたいのです。そして、ファンデーションといった化粧品にも参入したいと思っています」

 家族の絆を大切にする彼は、現在大学生である2人の妹に、卒業後、会社を手伝ってもらう予定だ。曾祖父が始め、1度はとぎれたビジネスを再開した曾孫であるアダ社長。一族の歴史を誇りに、島の経済発展と将来の展望を考えた結果生まれたファミリービジネス。アジアと米国文化の共存するグアムだからこそ、彼のような起業家が現われたのかもしれない。
取材・  伊藤 葉子
文、写真・伊藤 葉子
ベンチャーリンク誌96年5月号に掲載
Copyright GlobalLINKTM 1996

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Uploaded on 7/12/96 at 1:35 p.m. JYM