フランス
殺風景な建設現場を
エスプリあふれるアートの場に
アトリエ・キャタリン・フェス(Atelier
Catherine Feff, S.A.)
- 設立---------1986年
- 所在地-------Meudon
- 代表者-------キャタリン・フェス
- 従業員-------7人
- 売上---------約1200フラン(約2億1600万円)
- 事業内容-----建築現場デコレーション、内装、壁画
<アメリカのアートからビジネス・ヒントを得る>
自分の生まれ育った町の景観を、もっと芸術的にしたい。そんなパリジャンの思いから始まったビジネスがある。
通常、建設現場では、施工会社名の入っただけの白布がかぶせられたり、シンプルな仮り囲いが施されていることが多く、この布や囲いは、決して景観をよくしているとはいえない。
しかし、この建築現場を、その現場のためだけに用意した、絵や色布で飾り、足場を見せないというのである。
1988年、修理中の凱旋門が、フランス国旗をイメージした、赤・白・青の布で飾られていたのを、覚えている人もいるだろう。そして90年、マドレーヌ寺院修理の際には「だまし絵」が飾られ、町行く人々の目を楽しませてくれた。この2つのプロジェクトは、いずれもアトリエ・キャタリン・フェスによって手掛けられた。
フランス語でトロンプ・ルイユと呼ばれるだまし絵は、実物であるかのような錯覚をおこさせる迫真的な描法をいう。2次元・平面に、3次元の世界を創造する技法で、ローマの聖イグナツィオ教会の天井に、昇天の様子を描いたのが、この技法の代表例である。
同社のキャタリン・フェス代表は、だまし絵を初めて建築現場に用いたアーチストであり、起業家である。
パリで生まれ育ったフェス代表は、毎年80人の定員に1400人もが応募するという、アート・スクールの名門、エコール・ド・アート・デコラティフで4年間学んだ。卒業後、子ども向けの雑誌社に就職し、6年間、レイアウトやイラストを手掛けていた。
じっと机に座って絵を描いているうち、もっと大きなプロジェクトに携わりたいと思いはじめ、85年に退社。フリーのアーチストとして、おもにインテリア・デコレーションを手掛けていた頃、その後のビジネスのヒントとなる作品に出逢った。
それは、アメリカ人の梱包芸術家、クリストが、85年、セーヌ川にかかる橋、ポン・ヌフを巨大な布で包んでしまうというアートである。クリストは、「95年度 高松宮殿下記念世界文化賞」の彫刻部門を受賞した芸術家だ。
フェス代表は「アーチストも、行政機関を説得し、成功することができのだ」と思うと同時に、「クリストは包んでいるだけで、描いてはいない」という点に着眼。自分は、絵を用いたプロジェクトを行ないたいと考えた。
以前から、足場は町の景観を損ねる、と不満を抱いていたフェス代表は、建築現場を、だまし絵で飾ったらどうか、というアイデアを思いついたという。
翌86年、自分の貯金を使い、資本金5万フラン(約90万円)で、日本の有限会社に相当する規模の会社を、1人で設立した。自分の父親が会社を経営していたので、会社をつくることにとくに抵抗はなかった。
インテリア・デコレーションを手掛けながら、自分のアイデアを建築家、不動産会社、企業に持ちかけてみた。新しいコンセプトであり、「面白い」と、すぐ実行となり、今日に至っている。
<順調なスタートで海外にも展開>
86年、初の建築現場プロジェクトとして、パリの劇場、クー・ド・テアトロ改築現場で、1800平方bのキャンバスに、舞台幕からのぞく女性を描いた。そして、88年には、前述の凱旋門デコレーション(8200平方b)。翌89年はフランス革命200年記念祭の年であり、修理中の凱旋門デコレーションには、銀行、ペンキ会社、建築用材会社などが、すぐ協賛したという。企業イメージの上がる、効果的な宣伝方法と考えられたためだった。
フランスでは、歴史的建造物修理工事の際、その現場には工事のスポンサー名を入れないこと、と法律で定められているが、新聞・雑誌などを通じてなら協賛していることをアピールしてもよいことになっている。また、当時のフランス経済は、現在よりも安定していた。
マドレーヌ寺院(1600平方b)のだまし絵は、キャンバス作成、デコレーションを1カ月かけて施し、単一プロジェクトとして、40万フラン(約720万円)の売り上げを出した。90年から93年と長期に渡りデコレートされたことは、同社の宣伝ともなった。そして、フェス代表のアイデアは、海外へも広がっていく。
92年、ドイツ、ベルリン宮殿再現の建築現場を、8bX35bのポリエステル布を重ね合わせてデコレートし、300万フラン(約5400万円)の売り上げを出した。50年に誕生した東ドイツの社会主義政府は、人民を搾取した封建的社会構造のシンボルということで、儀式としてこの宮殿を爆破したという。この宮殿は、ゼロからの再現だったったので、だまし絵をイメージするため、建築家や歴史家と計画を練った。フリーのアーチストを含め、総勢50人のアーチストを動員し、2カ月かけたベルリン・プロジェクト。このデコレーション過程をドキュメンタリーふうに記録した、同社のプロモーションビデオもある。
同社の建築現場プロジェクトのなかで、もっともユニークだったのは、パリのコンコルド広場修理中、現場を巨大な時計を描いただまし絵ですっぽりおおってしまったことだろう。この絵のモデルとなった時計は、フェス代表のオフィスにいまでも飾られている。
同社では、前述のような建築現場のデコレーションのほか、@古くなった建物に壁画を施す、Aオフィス、レストラン、ホテルのロビー、個人住宅内および駐車場を、パノラマ画やだまし絵で飾る、Bイベントの際に、スポンサー名を入れたパノラマ画を作成する、といったプロジェクトも行ない、人々の目を楽しませている。
パリの名門、リッツ・ホテルおよびレストラン・グループ、フロの内装から、ジョルジュ・サンク通りの駐車場の壁画と、同社が手掛けた作品は幅広い。
長期に及んだマドレーヌ寺院の印象が強かったのか、海外からも仕事の話が次第に持ち込まれるようになり、93年には、海外プロジェクトが売り上げの30%を占めるようになった。
同社は、ヨーロッパやアジアにブレーンをもち、これまで作品を提供した国は、ドイツ、ベルギー、スペイン、アメリカ、イタリア、ルクセンブルグなどである。海外のアーチストも、プロジェクトに参加している。
アメリカの代理店には、作品の写真を送り、積極的に売り込んだ。同社は、コカ・コーラ社からの依頼を受け、96年のアトランタ・オリンピックの際、選手を描いたパノラマ画を披露することになっている。
そして今後は、アジアでのプロジェクトにも期待している。フランス大使館の協力により、ソウルKBSテレビから依頼されたパノラマ画プロジェクトを終え、取材の2日前に帰国したばかりだ、とフェス代表は語っていた。
同社では、建築現場プロジェクト以外の仕事は、小規模プロジェクトの部類と考えており、売り上げは、プロジェクトごとに5000米j(約42万5000円)〜1万米j(約85万円)と、建築現場の場合と比べるとかなり控えめではある。しかし、作品には必ず、アトリエ・キャタリン・フェスのロゴ・マークが入るので、同社の宣伝になる。また、ビッグ・プロジェクトは頻繁にあるわけではないので、このような仕事も行なっている。
<安定収入を目指しアート・スクール開設>
起業後まもなく、ビッグ・プロジェクトに恵まれ、順調な滑り出しだった同社だが、思わぬ壁にぶちあたっている。
同社の売り上げは、86年の150万フラン(約2700万円)から、93年には1200万フラン(約2億1600万円)と伸びていたが、94年、初めて赤字を出した。この年、フランスの失業率は10%以上になり、将来を不安に思う学生たちはデモを行なった。
「マドレーヌ寺院を飾ってうかれているより、失業・経済対策に取り組むべきでは」という感情が、パリジャンに起こった。
「私が行なっているようなプロジェクトは、景気が悪くなるとまず予算からはずされるような仕事です」とフェス代表は言う。
会社を維持していくには、毎月20万j(約1700万円)の売り上げが必要で、もっとマドレーヌ寺院プロジェクトのような大規模な仕事をこなさなければならないという。国内市場だけに頼ってはいられなくなり、海外に積極的に進出せねばならなくなった。
もっとも多い時期には、24人いたスタッフは、現在7人(内訳は、フェス代表の秘書と6人のアーチスト)にまで減った。プロジェクトの規模により、フリーのアーチストを雇い、対処している。会社を運営していくには、これ以上の解雇は不可能だ。
「私の人生における哲学は『決してあきらめない』ということです。だからこうして働き続けている」と、フェス社長は意欲をみせる。 95年に入り、経営が持ち直してきているとはいうが、安定した収入を得るために、同社が考えたのはアート・スクールの開設だ。95年9月より始まるこのスクールでは、6カ月〜1年かけて、同社の手がけるアートやテクニックを教えるというもの。英語に堪能なスタッフがいるので、フランス国内だけでなく、海外からの生徒も募集する。日本からの生徒も大歓迎だという。
「私たちがやっているテクニックを、理解してくれる人が増えるという利点もあります」とフェス代表は語り、優秀な生徒には同社で働く機会を与えるという。
日本では、横浜のレストランの内装を手掛けたことがあるのみだが、将来的に有力なマーケットとして注目している。とくに、日本では建築現場のような大規模なプロジェクトを行ないたいという。
近年、日本の建設会社も、現場が町の景観を損なわないように、そして地元との交流を深めるようにと考慮しはじめている。たとえば、地元の小学生を招待し、仮り囲いに、絵を描いてもらったりしている。
日本ではあまり馴染みのないだまし絵だから、日本でのビジネスの可能性はある。一方で、同社には、日本人と仕事をしたら、すぐにそのアイデアを盗まれるのではないかという危惧もある。同社の手掛ける絵は著作権によって守られるが、アイデア自体をマネされることに対しては防ぎようがないからだ。
しかし「私たちが手掛ける絵の質の高さは、かなり知られるようになりました。また、私たちのように、早くプロジェクトを仕上げられるアーチストは、まだ少ないのです」とフェス代表は、パイオニアとしての自信をみせる。
日本の建設現場でのだまし絵プロジェクトの可能性は、経費を負担する施工主の意識の問題となり、景気のよくない現状では、難しいかもしれない。しかし、このような時代だからこそ、潤いやインパクトも求められているともいえる。
近い将来、同社のだまし絵が日本の建築現場を飾り、私たちの目を楽しませてくれることになるかもしれない。
取材・文-----伊藤葉子
ベンチャーリンク誌95年9月号に掲載
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