<アメリカ西海岸便り>
誰が決めるのか児童虐待としつけの境目
先日、友人の知り合いがスーパーに買物に行った際、言うことを聞かない子供のおしりをたたいたところ、ただちにパトカーが現われ、警察に連行されてしまったそうだ。おしりをたたくのを見ていた他の買物客が通報したと思われるが、彼女が犯した罪は?--児童虐待である。
日本では、子供を車に残したまま親が買物に行ったりするが、アメリカでは、たとえ子供が寝ていようと、数分でも車に一人で残していれば、ただちに「児童放置」の疑いで通報され、何万ドルという罰金を課せられる。押し入れに閉じ込められたり、家に入れてもらえなかったり、日本では(少なくとも私の世代の)子供たちが受けた罰も、虐待と見なされる。
蒙古人種の赤ん坊に蒙古班があるのを知らない医者や保育従事者が、殴られたアザと思い込み、アジア系の親を児童虐待で通報するという笑うに笑えない話まである。そのため、わざわざ医者に「これは蒙古班であり、アザではない」と書いてもらった証明書を持っている日本人駐在員もいる。
アメリカでは、児童虐待通報法が制定されており、医療従事者、教師、保育従事者らは、児童が虐待を受けたという妥当な疑いがもたれる場合、通報を義務づけられており、通報を怠った場合は処罰される。一方、任意の通報は、妥当な疑いがあれば、誰でもできるようになっており、通報者は、本当に虐待があったかどうかを証明する必要はなく、間違いであった場合、善意である限り、処罰されることはない。
通報法の制定後、通報件数は急増し、95年には、300万人以上の児童が虐待または養育拒否・放置にさらされたと報告されている。これは、86年に比べ、49%増である。また、身体的虐待や過度の放置の結果、95年には、1,215人の児童が死に至った。80年代に比べ、全殺人件数は減っているのに、子供が犠牲者となる殺人件数は増えているのだ。
実際の虐待件数は、公表されている数の16倍(身体的虐待)とも、10倍(性的虐待)とも言われており、多くの虐待が摘発されずにいるのは事実だろう。実際に、私の周りにも、実の親から虐待を受けた人たちは少なからずいる。映画「キャリー」の母親のような実の母親に精神的虐待を受け、戸塚ヨットスクールのような修道院に無理やり入れられ、そこで肉体的・精神的虐待を受けた20代の女性。(そこを出た後、彼女は麻薬とアルコールに走った。)父親に、母親とともに暴力を受けて育った30代の女性。昨年は、「実は、妻が子供のときに実の父親から性的虐待を受けて……」と仕事仲間の40代の男性二人から告白を受けた。一人は、妻の子供のときの後遺症が原因で、離婚をしている。「児童虐待」という概念が薄かった頃の忌まわしい体験を、30年、40年たった今、明らかにする人は多い。
外部からはわかりにくい家庭内で起こる虐待から子供を守るために制定された通報法だが、同時に、隣人、通りすがりの人、誰もが他人の虐待を通報することができ、自分の子供のおしりをたたいても、「虐待」のレッテルを張られてしまうという結果を招いた。 出勤する母親を見て泣いていた子供が、一人家に置いていかれるものと勘違いした近所の人が通報し、ソーシャルワーカーに尋ねてこられたという日本人女性の話もある。夜勤帰りの夫が家で寝ていたということで、虐待でないとわかってもらえたが、そうでなければ、子供を取り上げられていたかもしれない。実際、児童虐待の容疑で、突然、尋ねてきたソーシャルワーカーと警察官に子供を取り上げられ、何ヶ月、何年も子供に会えないというケースはいくらでもある。
他の容疑と違い、児童虐待の場合、容疑者は「証明されるまで有罪」であり、無罪であることを証明する責任は、容疑者の肩に落ちる。そのため、“魔女狩り”の道具として悪用される場合もある。特に離婚、養育権争いの際、養育権ほしさに、配偶者を虐待の容疑で訴えるケースも少なくない。たいていの場合、母親が父親を訴えるので、アメリカには、虚偽の虐待容疑をかけられた父親のサポート団体もいくつかある。
被害者が子供であるだけに、本当に虐待が起こったかどうか、誰が犯人なのかを明らかにするのは難しい。さらに、どこまでが「しつけ」で、どこからが「虐待」かも見解の分かれるところだ。
最近、「体罰は、人をだましたり、うそをついたり、いじめをしたり、反社会的行為を助長する」という研究結果が発表された。これを発表した社会学者は、「体罰を減らせば、暴力や犯罪が減る」と結論づけている。これで、体罰に反対する親がさらに増えると思われるが、それでなくとも、誉めて育てる方が子供は正しく育つと信じている親は若い世代に多い。こうした背景に、児童虐待に対する恐れがあるのは否めない。
非常に微妙になってしまった「しつけ」と「虐待」の境目。これが社会にとってどのような影響をもたらすのか、あと10年もすれば答えが出るだろうか。
有元美津世/N・O誌1997年10月号掲載 Copyright GloalLINK 1997
Revised 12/4/97 アメリカ西海岸便りインデックスへ