米国ニュービジネス発掘−14−

極小ワイナリー向けボトリングサービス


会社名: The Bottling Room, Inc.
設 立:  1986年
所在地: 北カリフォルニア
代 表: 
Eric Peterson

 ワインの産地として世界的に知られるナパバレー。気候と土壌に恵まれ、1800年代半ばからワイン作りが始められた同地には、現在、240以上のワイナリーがあるが、小規模のワイナリーが多い。
 大きなワイナリーでは独自でボトリング施設を持っているが、小さなワイナリーでは、びんの浄化からラベリングまでをすべて手作業で行なっているところもある。スポイトやじょうごを使ってびん詰めをするのも大変だが、びんにラベルをまっすぐに貼るのが一番難しいという。
 そうした小さなワイナリーのために、トラックでやってきてボトリング作業をすべて行うモビールボトリング業がある。モビールボトリング自体は、70年代にヨーロッパに登場し、カリフォルニアでは70年代後半から80年代にかけて3社が創業した。しかし、こうした業者が使う大型トレーラーでは、丘の上にある小さなワイナリーには到達できない。

 こうしてモビールボトリング業者にも来てもらえない極小ワイナリーに目をつけたのが、ボトリングルームを設立したエリック・ピーターソン社長である。同社では、改造したいすずのトラックを使用しているが、細い坂の上にあるようなワイナリーでは、同社のトラックでも途中溝にはまって、牽引車を呼ばなければならないことがあるという。「この仕事にはつきもののアクシデントですね」とピーターソン社長は笑う。
 トラックに収まった同社のボトリングラインは、ワインをびんに詰め、コルクをはめ、フォイルをかぶせ(この部分は手作業)、ラベルを貼って、箱も詰めるまでの全作業を行なう。ラインは、ピーターソン社長自身が、元理科教師の父親とともに、8つの異なる機械を組み合わせて作った。10万ドルを費やして開発したラベリング機では、特許を取得している。
 手作業であれば、16人で取り組んで、1日にせいぜい400ケースしかボトリングできないのが、同社のサービスを利用すれば1時間最高250ケース、1日1500ケースを処理できる。「こうしたサービスでどれだけ時間と労力が節約できるかを理解していないワイネリーがまだまだたくさんあります。ボトリングは私たちにまかせ、ワイナリーはワインの販売に専念すべきなんです」とピーターソン社長は、市場にはまだまだ開拓の余地があることをほのめかす。

 小さなワイナリーを対象にしてはいるものの、ボトリングルームでは、大きなワイナリーにもDMや電話を通じて宣伝活動を行なっている。というのは、大きなワイナリーの中には、別に小さなワイナリーを所有しているところも多いからだ。また、新製品のテストマーケティング用に少量をボトリングしたり、ボトリングラインを注文してから納品されるまでの間、一時的にボトリングラインが必要となる場合もある。
 小さなワイナリーであれば、200ケースほどで、一日で作業が終わるが、大きなところであれば3万ケースというところもあり、作業を完了するのに3週間かかる場合もある。訪問回数も、1年に1度の小さなところから、3−4回訪れるところまで様々だ。同社では、年間計約20万ケースを取り扱う。
 料金は、1ケースあたり2ドル弱。最低料金が一日1500ドル。同社では、1ラインにつき2人の作業員を派遣し、あとはワイナリーの労働者を利用する。

    同ビジネスで最も大変なのは、適切な人材を見つけることだとピーターソン社長はいう。「機械にもワインにも詳しく、その上、人間関係もうまくこなせる人というのはなかなかいない」 ボトリング機械の故障や人為ミスで、何十万ドル相当のワインが台無しになる可能性があるため、ボトリングの際には、ワイナリーは非常に神経過敏なっている。そうしたワイナリーのオーナーらとうまく対応ができることが必要条件だという。
 また、作業自体も重労働である。とくに夏場は、1週間7日労働、1日10-16時間労働であり、その間、ワイナリーの近くのモーテルに宿泊することになる。
 「我々の仕事はサービス業であり、顧客サービスが一番の鍵です。同業者の中には、大きな注文が入ると、先の予約をキャンセルするところもあります。当社では、一度もキャンセルしたことはありません」とピーターソン社長は誇らしげに語る。同社では先約が入っている場合、顧客に同業者を紹介するという。「向こうも、同様の場合に当社を紹介してくれますから」

 86年に同社が創業した後、6社がこの市場に参入したが、3社はすでにつぶれているという。非常に成功している同業者は、そのボトリング機械を輸出するイタリアの会社から資金援助を受けている。
 ピーターソン社長は、創業時、資金集めに苦労した。銀行に融資を頼んだところ、貸付額の3倍の担保を要求されたという。「銀行には、なぜこうしたサービスが必要かが理解できなかったようです」 結局、家族友人やワイナリーから資金を調達したが、現在は、中小企業局のローンを利用している。
 88年には2本目のボトリングラインを加えたが、そのラインは、現在、作り直している。サイズの合うトラックがなかなか見つからないため、稼動するのは来春になるということだ。94年には3本目のラインを作り、南米で初めてのモビールボトリング機として、チリのボトリング業者に輸出したが、ほとんど利益が出なかったため、今は、機械の販売には力を入れていない。

 ピーターソン社長は、大学ではワイン醸造学を専攻。卒業後はいくるかの大手ワイナリーでワイン醸造者として働き、30年近く、ワイン一筋でやってきた。昔から、ワイナリーを経営するのが夢であり、ボトリング業のかたわら、ワイナリーを経営することも考えた。しかし、ビジネススクールで経営学のクラスを受講した際、事業計画を立てたところ、ワイナリーの経営では、5年後にぶどうが収穫でき、8年目に損益分岐点に達し、利益が出るのは15年後という計算になったそうだ。「ワイナリーの経営は、引退後の趣味にしますよ」  


有元美津世/ベンチャーリンク誌1998年2月号掲載  Copyright GloalLINK 1997-1998

Revised 4/12/98 web2@getglobal.com

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