日本に住む日本人は、英語圏に住んでさえいれば英語ができるようになると思っている人が多い。しかし、英語圏に二十年、三十年と住んでいても、ちょんとした英語を話せない日本人は山ほどいる。
ある程度話せても、ニュアンスも理解でき、TPOによる言葉の選択もでき、日英両方をきちっと操れるバイリンガルといえる人は極端に少ない。日米の文化背景も十分に理解しているバイカルチュラルの人となると、ほんの一握りである。
外国人に「英語、うまいですね」とお世辞を言われている段階では、まだまだ「外国人にしてはうまい」に過ぎないのである。
「英語を話す」ということは、ただ言いたいことを日本語から英語に置き換えるだけではない。その言葉が話される文化背景も理解していなければ、効果的なコミュニケーションは図れない。
ある著書が「語学ができる=国際人ではない」と述べたように、いくら文法的に完璧な英語が話せても、元の発想が日本語のままでは相手には伝わらない。そうした人よりも、日本語で理路整然と話ができ、通訳を使って外国人に意志を伝えられる人の方が国際人というわけだ。
アメリカで日本人向けの人材斡旋業に携わる日本人は、在米の日本人に多く接してきた経験から、「とことん日本人であることが真の国際人だ」と言う。英語がしゃべれるから、外国に住んでるから、国際的にビジネスをしているから、国際人なのではないというのだ。彼がいう「とことん日本人」というのは、「日本の歴史や日本とアジア諸国の関係を、日本ではまだちょんまげを結っていると思っている人に説明できる人」ということなのだ。そして、「真の国際人」というのは、日本でもどこでも通用する人だという。(私も同感である。)
また、日本が海外から見てわかりにくいのは、日本人が日本の習慣などを説明できないからであり、日本のことを日本人が率先して外国に伝えていく努力が国際コミュニケーションの第一歩だという声は多い。
日本人には日本に対して否定的な意見の人が多いが、自国のことをこれだけ卑下する国民も珍しい。開発途上国出身の人たちでも、もっと母国に対して誇りを持っている。日本人が自国を卑下するのには、未だに根強い欧米コンプレックス、身内は誉めないという謙遜の文化、外国人と一緒になって日本を批判していれば楽だ(日本にも住んだことがないのに「日本はここがおかしい」と言い切る外国人に山ほど会ってきたが、実際、彼らに反論するにはかなりのエネルギーを要する)という点もあるのだろうが、子供のころから論理立てて物事を説明する訓練を受けず、議論に慣れていないため、自国のことをちゃんと説明できないという点も大きいと思うのだ。
本書では、英語で論理的に話を構築するテクニックや例文を解説しており、読者の皆さまが、同意できないことには理路整然と反論するための一助となれば幸いである。